史跡 青塚古墳
ページ番号1003513 更新日 平成28年12月21日 印刷
史跡 青塚古墳
犬山市の楽田地区にある史跡 青塚古墳(以下、「青塚古墳」とする。)は、全長約123メートルの愛知県下でも名古屋市の断夫山古墳に次ぐ2番目の大きさの前方後円墳です。別称「茶臼山古墳」または「王塚」と呼ばれています。また、天正12年(西暦1584年)の小牧長久手の戦いの際には秀吉陣営の砦として使用されたことから、「青塚砦」とも呼ばれています。
かつては、周辺に10数基の古墳が点在し、古墳群を形成していましたが、現在では青塚古墳南西の籔の中に小円墳数基を残すのみとなっています。
古墳の築造年代
4世紀中頃
古墳の規模
- 墳丘長 約123メートル
- 後円部径 約78メートル
- 後円部高 約12メートル
- 前方部長 約45メートル
- 前方部幅 約62メートル
- 前方部高 約7メートル
- くびれ部幅 約43メートル
出土遺物
埴輪(壺形埴輪、円筒埴輪など)、鏃形石製品3点
発掘調査から青塚古墳史跡公園までの歴史
青塚古墳は、昭和41年(西暦1966年)5月に愛知県犬山市の市指定文化財になりました。
昭和54年(西暦1979年)、古墳を含む周辺一帯に、ほ場整備事業が計画されましたが、地元の方々から「古墳の保存を」という強い要望があり、同年それまで不明であった古墳の範囲確認と保存を目的とした最小限の発掘調査が行われました。
調査の結果、歴史的にも学術的にも価値が高いことが判明し、ほ場整備事業の対象区域から除外されることとなり、昭和58年(西暦1983年)2月に国の史跡に指定されました。
発掘調査で得られたデータに基づいて、平成8年(西暦1996年)からは文化庁の史跡等活用特別事業に採択され、史跡公園としての整備を行い、平成12年(西暦2000年)8月5日にオープンしました。
なお、発掘調査の結果から、造られた当時は石で覆われていたことがわかりましたが、青々と草が茂る姿から地名の由来にもなり、草刈りをして大切に守ってきた地元の方々の愛着心を尊重し、全体にコグマザサを植えて「青い塚」のイメージが残るように努めています。
大縣神社と青塚古墳
青塚古墳の約3.5キロメートル東にある尾張二宮大縣(おおあがた)神社では、「青塚古墳は大縣神社の御祭神である神裔大荒田命(おおあらたのみこと)の墳墓である」と伝えられています。
毎年、中秋の名月に近い週末の夕刻から日没にかけて、「墓前祭」が執り行われています。
青塚古墳
アクセス
名鉄「楽田駅」より徒歩30分
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教育部 歴史まちづくり課 埋文・記念物担当
電話:0568-44-0354 犬山市役所 本庁舎3階